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新北市淡水區公所

 
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木下静涯

木下静涯

   木下静涯は本名が源重郎で、日本の長野県人である。1889年生まれで、1988年没。初期には竹内栖鳳に師事し、京都派に属する画家であった。1918年、中国本土に写生旅行に赴く途中で、台湾の親友を訪問した。この時、仲間の友人が病気に感染し一時的に台湾に留まることとなった。その間に台湾各地に写生に赴き、1921、1923、1925及び1926年にはそれぞれ台北と新竹で絵画展を開いた。
1923年には裕仁皇太子に「蕃界絵巻」を献呈し、当時の画壇から高い評価を受けたのを機に、台湾に留まって活動することを決意し、淡水の「三層厝」に居を構えた。1927年はちょうど台湾美術展覧会(略称台展)創設の時期に当たり、彼は台展創設を推し進めた日本籍画家の一人となった。
木下静涯は台湾東洋画の発展に多大な影響を与え、台湾に留まり官設美術展の審査員を務め、更に台展第1期から第10期まで及び府展第1期から第6期までの全過程で官展に参加した唯一の日本籍東洋画絵画教師であった。彼は台湾籍画家に対して、創作面でも台湾本島という地元の特色を形にするよう積極的に奨励・支援した。

木下静涯の淡水にある旧居は、三民街12号地点にある。2011年、淡水公所は淡水アートストリートの全体計画に合わせて、雑草が生い茂っていたこの周囲のスペースを整理して木下静涯紀念公園とし、芸術・文学と休息の拠点として市民に開放した。エリア内に設置された好日碑は彼が1988年に記した「好日好日又好日」の短文である。現在、木下静涯の旧居は、2011年1月から新北市政府の公告により歴史的建造物に指定されている。それに引き続き、文化局により関連する修復作業が計画されている。

 
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  • 更新日期:2021-02-02
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