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最後更新 : 2016-08-31

歴史ある淡水

 

大屯の春景色

淡水-「TAMSUI」 英訳名の由来

淡水は、外国人の台湾觀光では来訪者数が最も多い観光地の一つである。
しかし現在、「淡水」の英訳名は「TAMSUI」のほかにも、「DANSUI」、「DANSEUI」、「DANSHUEI」、「TANSUEI」、「TANSHUEI」、「TAMSHUEI」などの各種の綴りがあり、それぞれ入り乱れている状態である。そのため外国人来訪者は識別と意思疎通で戸惑うだけでなく、外部各界が行う事業でも足並みが揃わないことでマイナスイメージを与えるため、用語統一による改善が急務となっている。
 

「TAMSUI」は昔から「淡水」の英文名であった。それはジョージ・L・マッケイ博士が1895年に記した英語版「From Far Formosa」-「フォルモサの記録:マッケイ台湾回想録」に見られる記載であり、その歴史的起源と意義を持っている。また市制施行前の台北県政府でも、98年間にわたり「TAMSUI」を淡水の英訳形式して採用し内政部に登録していた。

淡水は東南アジアの海と陸を繋ぐ中継地点であり、また、背後の大屯山は空からの際立つ道しるべにもなっています。そのため、今日に至るまでの7000年の間、途絶えることなく人々が淡水に移住し、漁業や狩猟、耕作という生活スタイルをおくっていました。 16世紀には、西洋諸国がアジアへの進出を開始し、立地の良い台湾に目をつけました。スペインはフィリピンの統治を確固たるものにした後、オランダ、イギリス、ポルトガルに対抗するため、真っ先に台湾北部を占領しました。

1629年の秋、スペイン人は中国や日本に向けての貿易や布教の起点となるよう、サンドミンゴ城や教会を建造しました。